サインというもの

2002年6月22日
http://www.yomiuri.co.jp/04/20020620i504.htm

たっくがこれについて書いたら
私もなんか書こうと思ったけど、萎えたようなんで、別視点から先に書いちゃおっと(笑)

もし、ここにベッカムのサインがあったら。

私、別に要らない(爆)
いや、まあヤフオクでかなりの値がつくだろうから、そういう意味じゃほしいけど。
それは「サイン」がほしいんじゃなく、「お金」がほしいんだよね(笑)

ほしくないのは、もちろん私がサッカーにさほど興味がないからだけど、じゃあ、興味のあるもの関係の人のサインだったらほしいか、というと・・・。

今の所、自分でわざわざもらったサインというのはマイスキーというチェリストのサインだけだけど、
サインそのものは全然宝物って感覚はない。
CDジャケットに書いてもらったので、飾ったりしたこともない。他のといっしょにラックの中(笑)
まあ、コンサートの感想を直接会って言える機会なんてめったにないから、ついでにサインをもらった、という感じ。
その経験というか思い出はそれなりに大事だけど、サインはねえ、別に(笑)

ましてや他人がもらったサインだったらどうだろう?
へえ、で、終わり、ってのがふつうの人の反応だと思うんだよねえ。

直接もらった子にとっては、その思い出とともにそれなりに本当の価値(値段じゃなく)があったベッカムのサインも
あちこちの学校に「平等」に分配された時点で、ただの紙屑ですね。
少なくとも一月後には誰も見ないでしょう。
そのころになったらもとの持ち主に返されたりするのかもしれないけど(笑)それもひでえ話だ。

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